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体(容器)と心(中身)の関係が変化した場合。

昨日の話に、さらに一歩踏み込んで。
(初めてor久しぶりに読む人は2つ前の記事から読んでね♪)

体はイレモノ(容器)であり、その中身(内面・心)が大事と書いたけど、本人の意思に関わらずその関係性が変化するパターンもある。

例えば・・・

 ①それまでの中身がイキナリ失われてしまい、元に戻るかどうか不明な場合。
  (記憶喪失など)

 ②それまでの中身が徐々に失われていき、元に戻る見込みが薄い場合。
  (認知症など)

 ③中身が無くなった場合。(遺体など)←これも宗教によって違うかもしれませんが、私は無宗教なので☆

えーっと、③は置いといて★

いずれもケースバイケースであり、医療の発達などによっても変わってくると思うが、ココでは元に戻る可能性が皆無な場合を考えてみる。

それでもその人を変わらず愛せるだろうか。

これまでの中身が無くなっただけでなく別人になってしまったなら難しいが、そうでなければ大丈夫、かな?

その人がそのままの笑顔で笑ってくれてたら、変わらず愛すると思う。
でももしかして相手の気持ちは変化しているかもしれないし・・・><
ツライでしょうね・・・

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

たとえば…我が子が犯罪を犯し整形して逃げ回っても子は子…変わらずに愛せるというか心配するのだろう(最近の事件?)
で、他人の場合は?どうなんでしょうね。
簡単に切れる関係なら?答えは?それでも打算は働くかも?
切れない関係なら…辛いね。
でも、器も中身も分かってるのは自分自身だけなので・・・他人に理解し貰おう~って思うこと事態が難しいのかも?!

投稿: 夢眠 | 2009年12月 6日 (日) 22時40分

★夢眠さんへ------------------------------★

整形=外見が変化した場合、ですね。
親子のように密接な関係なら、内面が同じなら思う気持ちは変わらないと思うな~。
でも良く知らない間柄の場合は、また全然違うかも。
>それでも打算は働くかも?
これ、鋭い! 
そうですよね、打算という部分は相手がどうあれコチラの勝手で働かせるものだから★

うん、結局外も中も分かってるのは自分自身だけなので
(自分でも分かってない場合もあるし)
他人に理解してもらえると思うのは幻想なのかもしれませんね。
(う~む、この答えでは淋しすぎるか・・・)

投稿: わさぴょん | 2009年12月 7日 (月) 07時05分

まあわさぴょんさん、「Lの世界」からデビルマンを通って
深い世界に入り込んでますね。(≧ε≦)
>その人だから
というその人とは勘違いや思い込みかもしれないけど、
自分が感じ取ったその人の内面という部分が一番大きいかなあ。
そこが変わらなければ、外面が変化しても「その人」と思えますよ。

上の1と2の例は中身が変わっちゃった場合だけど、
結婚のような切れない関係か切れる関係かによっても、
一緒にいた時間によっても違ってくるよね~
長く一緒にいた夫婦なら「愛」よりも「絆」というか
俗っぽく言うと「責任」というか、離れられないと思うわ。

投稿: YAN | 2009年12月 7日 (月) 10時02分

うわ~さらに深いお話になってますね(^.^)!
外見と中身の哲学ですね♪♪
①と②の場合、やっぱりその人のクセだったり、笑顔だったり、自分の知っている内面の一部がカケラでも残ってさえいれば、変わらない気持ちで一緒にいれると思います。ただ相当辛いと思うけれど。
私は、自分の中身も自分だけでは全ては解らないと思うんです。何十年一緒にいる夫婦でも、きっと全部は解らないからこそ、一緒にいて色んな発見があったりして面白いのでは?と思います。
そこにはネガティブでの意味とポジティブでの意味の「人は変化」するという余地があるからかなぁと。
自分では見えない自分の中身の姿を映すのは、常に他者だと思います。だから思い違いや勘違いも含めてそれは他者に映っている自分の姿だから、それも自分なのでは?という気もします。
あれ?なんか書いていて頭こんがらがってキマシタ~^^;

投稿: アイノワ | 2009年12月 7日 (月) 15時23分

★YANさんへ------------------------------★

ここまできたら完全に『Lの世界』から外れてますね^^;
なんかねぇ、どんどん「じゃあこういう場合は?こういう場合は?」と
考えられるバリエーションが広がっちゃって☆

>自分が感じ取ったその人の内面という部分が一番大きいかなあ。

うん、そうですね。てか、他にどうしようもないし。
その根っこの部分が変わってないと思えれば、変わってない事になりますよね。(ヤヤコシイな)

厳密に言うと、結婚も”切れない関係”とは言い切れないわけですが
血縁関係などは切れない関係ですよね。
その付き合いの濃さや長さによっても違うだろうけど
実際問題として「責任」や、もっとヤな言い方をすれば「世間体」とかも
大きく絡んでくるんでしょうしね・・・
そこに愛はあるのか?
あるいは、無くてもいいのか?(--; 深すぎる・・・

★アイノワさんへ------------------------------★

ぼーっとしてる時の半分はこんな事を考えている、万年思春期わさぴょんでございます★
皆ヒクかも?と思ってたので、ついてきてくれて嬉しいです(^^;

>その人のクセだったり、笑顔だったり、自分の知っている内面の一部がカケラでも残ってさえいれば
あー! コレ分かるかも! きっとそうですよね!
逆にいうと、そこにしがみつきたくなっちゃうんだと思う。

自分の中身って(もしかしたら外身だって)、
自分だって完全に分かってるとは言い切れない部分がありますよね。
「あれ、私ってこんな部分もあったんだ」と思う事ってきっと誰しも有ると思うし。

ウチの両親、先日めでたく金婚式を迎えたんですが
母は「いまだにミステリアスな人よ~happy01大好きheart04」と皆の前でノロけておりました。
50年暮らしてもまだ「ミステリアス」。人って奥が深いですね☆

>自分では見えない自分の中身の姿を映すのは、常に他者
つまり、相手にそうさせているのは他ならぬ自分である、って感じかな。
自分で自分の事って逆に客観的に見られなかったりするけど
周囲の人間には自分の姿が映っているよ、って事ですよね?

うん、ちょっと話が違ってきたような気もするけど、確かにあるある~
まずは自分の行いを振り返らなくちゃ(--;

投稿: わさぴょん | 2009年12月 7日 (月) 18時48分

お久しぶりです。
僕が知らないうちに哲学ブログになっていたとは!
 
こんな話になった時によく思い出すのは、
(そんな時はそうそうないですが)
personという単語の語源はpersona(ペルソナ・仮面)に由来する
という話です。
 
僕が日々、見ているのは、人びとの仮面に過ぎないのでしょうか・・・
思えば僕も、家族に対する自分、職場での自分、ブログを書いてる自分、
あるいはそれぞれの人に対して見せている自分のキャラは、
みんな別物のような気がします。
その仮面の見せ方がその人の個性であり、
その人のあり方、つまりその人である、
という気もします。
 
何らかの理由でその人の中身が変わっても、
その代わり方はその人なりの変わり方であり、
その人である、
のかもしれないし、そうじゃないのかも・・・
 
あー、なんだかわけわからないー。

投稿: べえし | 2009年12月 7日 (月) 21時42分

わさぴょんちゃん♪お久し振り(笑)
(こちらではって事ですが)
で?何やら語っているのね♪
なるほど・・。

あのね・・。
ご存知の様に私って介護人だったでしょ。
で・認知症になるまでの姑は中身がそりゃ~嫌いでしたよ私は。
で・ここで問題発生。
あんなに嫌いで確執テンコ盛りだった嫁姑の関係を振り返えれば介護なんぞしたくもない。
とこうなる筋書きよね。
認知症になっても根っ子の部分で自身の持つ中身(性格)は基本的には変わらない。
でもね。
私は見たよ。
中身が変化するその過程をね。
で・どうなの?好きには決してなれないけど・・
変わってゆく過程を静観しながら近づいていったのね。
結果。今ではそう嫌いでもなく(笑)
もう亡くなったからそう思うのかは分からないけど。
嫌いのまま人生終わらなくて良かったって思ってる。
あれ?????
かなり話し飛んでる?ごめんなさい<(_ _*)>
★人は変わるって言うけどその辺りはチョットどうなのかなァ~って思う事もあるよね。
(勿論健常でいる場合だけど)
長過ぎてゴメンナサイ(*- -)

投稿: アビー | 2009年12月 8日 (火) 12時51分

わさぴょんが認知するの?

投稿: BlogPetのうさぴょん | 2009年12月 8日 (火) 14時25分

わさぴょんさんこんにちは

昨夜疲れた頭で来て、余りに難しい話題の続出に一旦帰りました

ケースバイケースよねぇ~
血は強いと思うよ・・・でもさぁ
マンガみたいに全く違う人格が入ってしまったら(子供に・・・)
どうなのかしら??好きでいられるか??
好きではいられない、でも器は子供だからもちろん殺せないみたいな感じ??

逆に器が自分で中身全然別人なのに、旦那がさぁ
同じように扱ったらどう??
頭にこない??

ものーすごく沢山のケースがあるうちの2件でした

Lの世界って・・・こんなに奥が深かったか・・・
レンタルDVDの特典の1話しかみてないけろ

投稿: 雨里 | 2009年12月 8日 (火) 14時28分

★べえしさんへ------------------------------★

三日連続で書いたし、もうやめとこうと思うけど
あと一個くらい書きたい事があったりして(^^;
コメントも気合いの入った物が多いので(皆様アリガトウ!!)、
レス書くのにも力が入って時間がかかる~(@@)
これを嬉しい悲鳴というのでしょうか☆

>personという単語の語源はpersona(ペルソナ・仮面)
あ~、なんか聞いた事ある気がする。これまた深い話ですよね~

うんうん、私だってそれぞれの場所で違う仮面を付けて見せてるし
(それぞれで求められる役割が違うんだから当然)
一定の場所でしか会わない人にはその人のほんの一面しか分からなくて当然なんですよね。

>その仮面の見せ方がその人の個性であり、その人のあり方、つまりその人である

どう見せたいと思うかがその人のその人たる部分、って事ですね。

>何らかの理由でその人の中身が変わっても、その代わり方はその人なりの変わり方であり

うん、同じ道を通っても、どう変わっていくかは百人百様ですもんね。

私の脳内もグルグルしてきた~(@@)

★アビーさんへ------------------------------★

ここぞとばかりに、思う存分語らせて頂いてます(^^;
間近で認知症の方を介護されてきた方から見れば、
私のたわごとなど「机上の空論」に思えるかも知れませんが・・・
(アビーさんの言葉には重みがありまする)

そうか~、中身の根っこは変わらなくても、徐々に変化していくのを見てれば
それまで「好きになれない」と思ってた相手でも歩み寄るのが可能だ、と。
(↑こういう事でOKかな?)

でも逆にアビーさんは

>★人は変わるって言うけどその辺りはチョットどうなのかなァ~って思う事もあるよね。

とも言っておられる。
う~む。
内面が崩壊するくらいの出来事がないと
変わるのは難しいという事かな。

以前、新聞の死刑囚の特集記事で
「死刑囚になって初めて色んなものが見えてくる(死・罪・反省・悔恨etc.)」って文章を読んだ事があります。
それは「無期懲役」では望めない境地なんだそうです。
極論ですけどね・・・

★うさぴょんへ------------------------------★

しませんてば ┐(´-`)┌ 

★雨里さんへ------------------------------★

気軽にコメ出来るような話題じゃなくてスンマソン★
でもこんな話が出来て非常に楽しいで~す\(^^)/

入れ替わってしまったら・・・
>好きではいられない、でも器は子供だからもちろん殺せない
ですよね~★ 仕方ないから・・って感じ。
でもきっと違和感はあるから、こっちの神経がオカシクなっちゃうだろうね~

>逆に器が自分で中身全然別人なのに、旦那がさぁ 同じように扱ったらどう??
納得できん!! 気付けよ!!って激怒(`Д´メ)
最初激怒で、次第に悲しくなっちゃうなぁ~

パパぴょんの中身が入れ替わって、気付かなかったらどうしよう ∑(=゚ω゚=;)
日常会話程度じゃ気付くのが遅れるかも・・(どんだけ仮面夫婦やねん)

いやもう、『Lの世界』の世界は完全に離れちゃってますが(^^;

投稿: わさぴょん | 2009年12月 8日 (火) 19時46分

わさぴょんちゃんへ♪
補足なり~~~。
>★人は変わるって言うけどその辺りはチョットどうなのかなァ~って思う事もあるよね。
↑そう確かに文章上では矛盾してたよね^^
認知症でもそうであるように健常でいる内は中々
変わらないって言うか・・
小さい頃からこの子はこうよね~みたいな部分ってあるじゃない。
そこは変わらないかなみたいな。
そんな感じかな~~。
認知症ってある意味ものすごく興味深いものなのよね。
自身の根っ子は変わらずとも何がこんなに変えたの?ってほど変わる部分も見えるのよね。
って言うか・・
補足になってなくて余計ワカランチンになってる?(笑)
義母の場合は認知症のお陰で私は救われた部分があるよ。
人を嫌うのって疲れるし嫌悪感があるのでね。
苦手な人ってずっと苦手のまま克服出来ないけど・・
認知症はそこを救ってくれた(あくまでも私の場合だけど)
レス大変でしょうから1行でも良いよ(爆)

投稿: アビー | 2009年12月 8日 (火) 20時14分

★アビーさんへ------------------------------★

補足説明ありがとデス♪

>小さい頃からこの子はこうよね~みたいな部分
うん、あるある!
昔の同級生とかに久しぶりに会って、
「見た目は変わったけど根っこの部分は変わらないな~」なんて思ったり。

認知症・・・随分前の話ですが、私の祖母も認知症でした。
たまに会いに行くと、ニコニコしてはくれるんだけど
コッチが誰だか全然分からないみたいで。
私はそれでも仕方ないけど、しょっちゅう世話してる母(祖母から見れば娘)の事も分かってない様子なのは、とても不思議に思えました。
(って完全に他人事って感じですね私・・・despair

アビーさんの姑さんも、もう一度「知らない人」としてアビーさんに出会い
諸々のしがらみを離れた部分で触れ合う中で、
それまでの確執を記憶と共にどこかに置いてきたのかも知れませんね。
(って、ナマイキ言ってスミマセンー!)

投稿: わさぴょん | 2009年12月 9日 (水) 20時10分

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